田中邦裕さんは、専門学校在学中に「さくらインターネット」を立ち上げた人物です。
海外勢が台頭するレンタルサーバー事業で、今でも多くの顧客を獲得した田中邦裕さんの実績を見るとエリートにも見えますが、実は苦難の連続だったようです。

専門学校の寮からアイディアをもらった

田中邦裕さんが「さくらインターネット」を立ち上げたのは、18歳の頃です。
当時、高専の寮でエンジニアを目指していた田中邦裕さんは、友人たちが「お金を払ってでもサーバーを借りたい」と発言していたことから、現在のサービスのアイディアを得ます。

設立した当初、田中邦裕さんは18歳。
社会人経験はもちろん、アルバイト経験すらない状態からの起業でしたが、自分のやりたいことをできるという環境に身を置けることをとても嬉しく感じていたようです。

上場を目指す過程で、社長を退任

設立当初の田中邦裕さんは、会社というものがどのようなものかよく分からずにいました。
そのため、自分達でサーバーを作って大変な中でも受注をいただき、後輩と会社を大きくしていくことを目指します。

この時には、社長という意識はあまりなく、エンジニア仲間とやりたいことをやるということに注力していたようです。
しかし、徐々に会社が大きくなるにつれて、上場を目指そうという意見が出始めます。
そうすると、社内の管理や指針など、社長として行わなければいけない業務が増えてきていまったのです。

当然のことではありますが、この状況に嫌気が刺したエンジニア「田中邦裕」は、社長を自認することを決意するのです。

債務超過によって社長に再度就任

上場してからは順調に業績を伸ばしていたのですが、田中邦裕さんが29歳の頃に会社は宰務超過に陥ります。
これを機に、社長に再度就任した田中邦裕さんは、エンジニアとしての感覚ばかりに集中していた自分に対して、責任を感じて変わることを決意しました。

そこから、田中邦裕さんは社長としての業務について取り組み始めます。
これまで行っていたエンジニアとしての仕事を任せ、業務の効率化を図るようになりました。
このような社長自身の変化と努力があったからこそ、債務超過の危機を乗り越えて今の会社の状態を整えることができたのでしょう。

18歳から刺激的な起業人生を送ってきた田中邦裕さんは、今後も進化し続け、より魅力的な会社を作っていくと期待されています。

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