横山修二の生い立ち
横山修二は、東京都大田区の出身です。生家は機械工場でした。
長男であるため、家業を継ぐべく、現在の芝浦工業大学の前身校に進学をしますが、戦時下でもあったため、繰上げ卒業で関東軍に徴兵され、満州(現在の中国東北部)に赴き、そこで終戦を迎えます。
戦後の歩みは、旧ソ連軍に連行された、シベリアでの抑留生活に始まり、シベリアでの抑留生活は数年に及んだそうです。
日本に戻ると実家は空襲に遭っていて、継ぐべき工場は跡形もない状態であったといいます。
住宅建設の仕事に成就
進路を仰ぐべく、母校を訪ねた横山修二に恩師は、現在の日本に不足しているものはたくさんあるが、中でも住宅不足は深刻だと現状を伝え、専攻した機械工学ではなく、住宅建設の仕事に就くことを示唆します。
これが横山修二の転機となり、まず手始めに不動産関係の仕事お仕事に就いて、後に池袋駅の近くでいわゆる駅前不動産のお店を開業します。後の大京観光の始まりです。
マンションに視野を広げる
何事にも体験を重視する横山修二は、当時流行り出したマンションを視察するためアメリカに渡ります。自らコンドミニアムを購入し、住んだ体験を通して帰国後、ライオンズマンションシリーズの販売を思いつくのです。
まだマンションが、庶民には高嶺の花であった時代のことでした。
ライオンズマンションの産みの親
現在の大京は紆余曲折を経て、横山修二の手から離れましたが、大京が手がけるライオンズマンションシリーズは、マンションのトップブランドといっていいほどの、絶大な知名度を保有しています。トップブランドを保有することほど、会社にとって強いことはありません。
また、供給戸数においても群を抜いており、その数は国が運営するURをしのぐほどです。これだけの事業規模を、財閥系でない不動産会社が果たし得たことは、不動産業界の革命とも言われています。
それだけに大京には、マンションを中心とした生活産業において、新たな価値創出をしやすい環境が整っているともいえます。
マンション建設以外も
傘下に、マンション建設、リフォーム工事やマンション管理を行う企業群を抱えていますが、いずれも上場規模の会社であり、地域の中核企業にまで発展しているのは、その証左です。
こうした企業群を形成するに到った発端は、先に書いたように、横山修二がアメリカで体験したコンドミニアムでの暮らしがやがて、日本でも当たり前になると確信した慧眼によります。それが池袋の駅前不動産に始まり、大京観光として日本のマンションブームを牽引させた原動力です。
会社は横山修二から離れはしても、ライオンズマンションといえば横山修二、横山修二といえばライオンズマンションといわれる由縁です。