寺田寿男さんは、日本を代表する引越業者であるアート引越センターを立ち上げた人物です。
では、これだけ大きな成功を残した寺田寿男さんとはどのような方だったのでしょうか?

オートレーサーになることが夢だった

寺田寿男さんは、幼少期から運動の得意な少年でした。
そんな寺田寿男少年が興味を持ったのが、自転車です。

当時はかなり高級だった自転車を買うため、小学生ながら自宅の近くの材木屋でバイトを行っていました。
そんな寺田寿男少年が徐々によりスピードの出るオートレーサーに興味を持ち始め、高校中退後は毎日のように鈴鹿サーキットに通っていたようです。

バイクを諦め、トラックでの人生をスタートさせる

友人の事故死をきっかけにオートレーサーになる夢を諦めた寺田寿男さんは、次にトラックへと興味を移します。
自動車の運転に自信のあった寺田寿男さんは、トラック運転手として働き始め、1968年には運送業を行う寺田運輸を起業します。

この頃はまだ個人事業となっていますが、これがアート引越センターの起源です。

起業にかかる借金を返済した時点で、寺田寿男さんは事業の法人化も行います。
しかし、自らの肩書きを社長とせず、営業部長として最前線で営業を行っていたというところが、寺田寿男さんの性格を感じさせる部分でしょう。

週末だけ引越業から始まった

運送業として事業を始めた寺田運輸が引越業を始めたのは、雨の日の出来事がきっかけです。
その当時は運送業者が副業として引越業も行っていましたが、作業の途中に荷物が盗まれてしまったり、雨で濡れてしまったりとかなり大変な状況がありました。
この時、寺田寿男さんは立石電機という企業と仕事を行っていたのですが、そこがその頃には珍しい週休二日制を取り入れていた事に目をつけ、トラックを週末だけ引越業に変えることにしたのです。

この取り組みを始めるにあたり、設立されたのがアート引越センターです。

夫婦で協力したからこそできたサービス

引越業に力を入れるにあたり、寺田寿男さんは奥様である千代乃さんを社長の座に就かせました。
その理由は、やはり引越などの家庭に関することは女性の方が決定権が強いと感じたことにありました。

この決断が功を奏し、アート引越センターの独自のサービスは多くの方に愛されるようになったと考えられます。

まとめ

いかがでしたか?
寺田寿男さんは、自分の好きなことから大企業を作った人物です。
常に最前線に立ち、社員や顧客を最前線に考えたからこそ、これだけ会社を大きくすることができたのでしょう。

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