食品、書籍、衣類、雑貨など、ネットショッピングが当たり前となった現代。物流は我々の生活と切っても切れない存在といえる。

そんな中、急成長を遂げている企業がある。1999年に開業、現在は100社を超えるグループ企業を持つ愛商物流株式会社だ。

同社を創業し、軽貨物運送事業のネットワークを構築し軽貨物を極めたのは、阿部観(あべ・みつる)氏。短期間で成功を収め、同社を離れた今は後進の育成などで躍進を続ける。

その秘訣とはなんだろうか。ここでは阿部観氏の人生における出会いやそこから培われた仕事論を紐解き、成功するビジネスパーソンのヒントを探ってみようと思う。

阿部観氏は高校卒業後に社会へ出て、後に名古屋で起業したバイタリティあふれる人物だ。

最初の事業は経営に問題はなかったものの、残念ながら倒産して莫大な借金を背負うこととなった。結果、周りから次々と人が去り、自身もやる気を失ってしまったという。

しかし、すでに家庭を持っていた阿部観氏は、借金の返済のために一念発起。リセットの意味も込めて1999年、単身名古屋から上京した。そしてトラックドライバーとなり、わずか2週間で自身の事業所を設立している。

資本力は低くとも 大手のやれないことで躍進

「創立から15年ですが、人との縁でここまでやってこられたと実感しています(阿部観氏・以下同)」

創業15年を迎えたとき、阿部観氏はこう振り返っている。

阿部観氏と愛商物流の歴史は、上京したときドライバー募集をしていた株式会社アクティ・木村勉社長との出会いから始まった。すべてが未経験の阿部観氏は、木村社長から軽貨物のノウハウから独立支援まで手厚い指導を受けたという。

次に、初の顧客となったSBSホールディングス株式会社(旧・株式会社関東即配)の鎌田正彦社長との出会いも大きな転機だったという。鎌田氏は、軽貨物車両を使って一都三県への即日配送を可能にしたビジネスモデル、通称“3PL”を世に広めた人物でもある。その後M&Aを積極的に行い、現在はSBSホールディングスを東証一部上場企業にまで引き上げた。

「鎌田社長からは経営からプライベートに至るまで、様々な勉強をさせていただきました。本当に感謝しています。さらに社長の著書にあった、“中小企業の物流会社は資本力で大手には勝てないのでグループ化していく”という一節は心に響きました」

鎌田社長の言葉にインスパイアされた阿部観氏は、資本力は小さくとも大手のやれないことをやる、という視点から独自のビジネスモデルを生み出す。中小の運送業者をグループ化し、ネットワーク力を充実させたのだ。

信頼を勝ち取り コスト圧縮や物流ネットワーク拡大に成功

阿部観氏が作り上げたこのビジネスモデルには、2つの強みがある。

ひとつは、人手不足、エリアの違い、大量物量など、自社だけでは受注できない案件を、得意地域、得意業務を持つグループが担当できること。実際この方法は、お客さまから大きな信頼を得ているという。

もうひとつは販管費が軽減できることだ。車の共同購入、車両・タイヤ・バッテリー販売から車検、修理はもちろんのこと、ETCや携帯電話、求人広告やパンフレット、教育研修に至るまで、幅広い面でのコスト削減を数の力で可能にしている。

こうした利点をフルに活かし、愛商物流株式会社はグループ全体で首都圏を中心に100法人・車両台数5,000台を超えるまでに成長。現在、阿部観氏は社長業を引退し、愛商塾の代表として後進の育成に注力している。

こうしたコスト削減やネットワークの拡充は、愛商物流の価格競争力も高めた。

たとえば、引っ越しサービスは広大な物流ネットワークを活かし、引っ越しシーズン中でも低価格で安全・安心のサービスを提供。布団袋やダンボール50枚など必要物資の大半が無料で、エアコン着脱などのオプションも割安となっている。

また物流ネットワークの拡大によって、より細かな配送ニーズに対応できるようになったのも、愛商物流の強みといえる。

同社のネットワークを支えるのは、全国に点在する独立オーナードライバーのため、機動力が高い。そのため顧客の輸送ニーズ(配送距離・時間など)を考慮した、きめ細かな対応が可能となっている。たとえば、深夜配送や緊急配送は通常、依頼費が割増になるケースも多い中、同社はこうしたケースでも柔軟かつ安価に対応できる。

さらに、物流を支えるのは社員ではなく独立オーナードライバーのため、年中無休の配送が可能なのも同社ならではだ。他にも、短時間だけ発生する社内便や特定の日だけの定期配送といった、法人が自社で対応するとコストパフォーマンスが悪い案件も問題なく対応できる。同社によれば、自社配送から同社への委託に切り替えた法人は、年間で目安20パーセントのランニングコスト削減を達成しているという(ドライバー1人あたり年間720万円のコストを600万まで圧縮可能。同社ホームページより)。自社でドライバーを育てる手間や金銭的・時間的コストなどのイニシャルコストも加味すると、削減効果はさらに大きなものになると考えられる。

もちろん同社の成長を支えたのは、こうした大きな施策のみによるところではない。急きょ専属ドライバーが対応できなくなった時にベテランドライバーがフォローして穴を空けないフォロー体制、荷物の安全かつ迅速な積み方や効率的な配送ルートの組み方など、顧客には見えないところも徹底的に質を追求。安かろう悪かろうではなく、顧客の期待に応えつつ効率的な経営を20年以上にわたって行っている。

この誠実な仕事の積み重ねが信頼を獲得し続け、愛商物流は物流業界が注目する一大グループへと成長した。

野球部より辛くはない。乗り越えるという勇気

柔軟な発想で低予算などのウイークポイントを補い、一大物流グループを作り上げた阿部観氏の手腕は本物である。

だが、もちろん多くの苦労もあったという。それらを乗り越えられたのは、高校時代の体験があったからだと阿部観氏は語る。

「なぜ仕事を続けてこられたのか。振り返ってみると支えになったのは“野球部時代より辛くはない”という思いです。部の生活は言葉に表すのが難しいほど過酷でした。あれより辛いことはないと思えば、すべて乗り越えてみせるという勇気やガッツが湧いてきます」

阿部観氏は幼い頃からスポーツ万能で、小学校時代から野球に取り組んできた。高校時代は、数多くのプロ野球選手を輩出してきた名門・愛工大名電高校(愛知工業大学名電高等学校)の野球部に所属し、厳しい練習にも耐え抜いた。ちなみに同校は工藤公康氏、山﨑武司氏、イチローこと鈴木一朗氏など、そうそうたるメンバーの出身校としても有名である。

名門高校で阿部観氏を待ち受けていたのは、練習の厳しさと、世界大会や全国大会の出場経験があるエリート選手たちとの実力差だった。その中でショックを受けつつも、腐って逃げるのか、それとも諦めずに上をめざすのか、選択を迫られたと語る。

「生まれて初めて大きな覚悟を問われた気がしました。そしてわたしは、“何としてでも、彼らについていこう”という決意をしたのです」

苦しい練習が続く中、どうしたら結果を出せるかという自問自答を続けてきた。この時の仲間たちと切磋琢磨した辛い日々が、阿部観氏の価値観の根幹をつくり、現在を支えている。どんなに辛いことにも堪えない強靱な精神力はここで生まれたと阿部観氏は振り返る。

“一流”と“極める” 緊張感とプレッシャーに勝つ

「経営者は目標達成のために、時間を問わず働かなくてはいけません。しかし、がんばったから必ずしも結果が出るわけではありません。不安になっても、計画通りに進まなくても周囲には辛い顔を見せられない。社員への指導力や目上の方への対応力も問われます。やりがいも大きいですが、どの瞬間にも緊張感とプレッシャーはつきものです」

プレッシャーを乗り越え結果に繋げる継続力など、阿部観氏の経営力の源泉は、野球部で指導を受けた名監督として名高い中村豪監督(当時)から得られたという。

特に強く学んだのは「常に一流であれ」「物事を極めよ」という極意。中でも、物事を極めるためには瞬発力が必要で、何かが起きたときに頭で考えて行動するのでは“遅い”という感覚は、このときに得た大きな糧だったという。

「プロ野球では150キロ球の剛速球が飛んできます。けれど頭で考えていたら打ち返すことはできません。練習でもピッチングマシーンから飛んでくる球を、“打とう”とすると見事にすり抜けてしまいます。一流になるには体が反応するようになるまで鍛錬することが大切です。野球に限らずビジネスにも通じていて、アスリート、芸術家、経営者など抜きんでた人物は、その道を極めた一流を持っているといえるでしょう」

社会人は大きな決断を迫られる場面に何度も遭遇する。さらに、人生には幾度となく転機が訪れる。“極める”と“一流”は、ビジネスのみならず、人生で成功するために共通のキーワードといえるだろう。阿部観氏の仕事観・人生観は、経営者のみならず、すべての社会人に活きるに違いない。

影響を与えた恩師も困難を乗り越えた

ここで阿部観氏に大きな影響を与えた、そして同氏が心の支えにしているという中村監督の足跡を少し追ってみよう。

中村監督もまた、愛工大名電野球部の出身である。甲子園を目指したが叶わず、社会人野球の世界に飛び込んだ。しかしここでも結果が出せずに解雇される。だが諦めないのが中村監督たる所以で、大学に入学して野球を続ける。

卒業後は、NTT東海(当時は電電公社東海)に入社して、再度、社会人野球に挑戦する。当時は新人でもあり薄給の身、家庭もあり生活は苦しく、やがて転職を決意する。

「誰かに雇われるのではなく、自分にしか出来ない仕事をしたい」

(中村監督。以下N)

そこで、まず野球のトレーナーを目指すべく、養成学校に通った。当時は子どもがふたりおり、仕事で家族を養いながらの通学は、困難を極めたに違いない。

マッサージ師の資格を取得し、独立を果たした後、母校から監督のオファーがあり、これを受けて就任することとなる。

「初めは2年か3年続けられればいいと思っていたのですが、20年以上、監督として生活をするのですから、人生は不思議なものですね(N)」

就任後の地区予選の決勝大会で、中村監督に転機が訪れる。予選で1度は負けたものの、相手チームがまさかの敗退で三つ巴となり、再度チャンスが巡ってきたのだ。

そして勝つためには、選手も自分も変化する機会であり、何か演出しなければならないと感じた。

「“俺もたるんどった! 悪かった! 気合いを入れ直そう!”と思いの限りをぶつけました。選手たちにも胸の内を吐き出させました(N)」

遠慮なくぶつかり合った結果、皆、泣きながら一致団結した。“明日は勝つ”という気持ちが生まれ、心がひとつになったそうだ。プロを目指す子、甲子園に行きたい子、将来は経営者になりたい子など、彼らの目的は違ったが、中村監督は「チーム全員が夢を叶え、将来、一流になるためにはどうしたらいいか」と考えた。

そしてたどり着いたのが、寮の管理であった。寮生活では、後輩は先輩のために掃除や洗濯を行っている。先輩を思いやり、きちんとした環境を作って練習できるように気づかうこと。さらに、その環境を整えるために、後輩同士の競争があることを自覚してもらうためだったという。

「生活の基本が出来てなければ社会での生活は厳しくなります。寮生活は自立を念頭に教育してきました。自立こそが、夢を叶えるための基礎力になるのです。」 

負けに不思議の負けなし!気配りと目配りを忘れるな

阿部観氏によれば、中村監督は“負けに不思議の負けなし”という言葉を好んで使っていたという。負けには必ず理由があり、原因を突き止めなければ勝つことができないということだ。さらに、その原因知れば、選択と決断が出来るようになるとも。この言葉は、今も阿部観氏の中で大きな意味を持っているという。

また練習方法も様々な要素を取り入れていたが、阿部観氏が最もユニークで人生にも役立つと感じたのは、“情熱キャッチボール”である。

このキャッチボールは、取って投げればいいというものではなく、投げ手は相手の取りやすい場所に「情け」を持って投げ、受け手は感謝を込めた温かい気持ち「熱」を持ってキャッチするという練習だ。

ほかに変化球を練習するための卵形ボール、今ではテレビなどでも見かけるようになった9つのブロックがあるピッチング用パネルなども監督は作成した。とにかく閃いたら実践してみるという姿勢が、ユニークな練習方法を数多く生み出してきた。

こうした教えや監督の姿に影響を受けて巣立った部員からは、プロ野球選手のみならず、阿部観氏のように企業のトップとなった経営陣も多い。

「わたしは野球だけではなく、教え子が社会の中でいかに通用する人間になるかを考えてきました。そのためには気配り、目配りを忘れるなと伝えてきました。つまり言われる前に気づくことの大切さを覚えて欲しいと思っていたのです。いつでも昔のことを思い出せば、これからの活路が見いだせるはずだと思います。“礼儀・ファイト・努力・機敏・チームワーク”という五箇条を掲げていましたが、それを胸に抱いていれば大丈夫です。」

現在、中村監督はプロ野球の選手育成をした手腕や勝利に導いた功績から、全国で講演を行っている。

この教えは愛商物流でも大切にされており、同社およびグループ全社では「人」として誠実にあることに何よりも重きを置いている。

プレッシャーが人を伸ばす 〜成し遂げるという強い気持ちを〜

「中村監督にはたくさんのお言葉をいただきました。 例えば、“人生のレギュラーになれ”や“雨上がりの筍が一 番伸びる”といった人生訓を教わりました。高校生の頃には正直、本当の意味を理解していたとは言えません」

現在、経営者である阿部観氏は、そこに人生を生きるための重要なエッセンスが詰まっていると感じている。それは「諦めないこと」「自立すること」「気配り目配りすること」だという。

阿部観氏は著書『最強人材育成メソッド』で、中村監督をはじめ、OB会長の子息であり、経営者でもある奥村拓氏など、愛工大名電時代の恩師や仲間と話を交わしている。その中で、誰もが多くの試練や大きな人生の転機に直面してきたが、監督の言葉や教えを活かして、曲面を乗り越えていると語っている。

「野球部での生活や先輩後輩の厳しい上下関係は、時代錯誤と感じるかもしれません。決して同じような教育を推奨しているわけではありませんが、プレッシャーがあるからこそ伸びるというのは、どの時代においても変わらないものだと言えるのではないでしょうか。 私は、上司や先輩が“自由奔放に生きて結果を出せ”と言うのは、理不尽なことだと思っています。 未経験の分野がある新人には、指導者からの多少の強制が必要だと思います。社会で対価を得るためには、“どのように頑張るか、やり続けるか”という経験によるノウハウが不可欠です。必ず成し遂げるという強い気持ちを、厳しい環境の中で持ち続けて欲しいと思います」

中村監督の教えは、今も阿部観氏に熱く受け継がれている。

参考にしたサイト

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